2011年8月14日日曜日

信長の経済政策とEU

日本もかつて戦国時代、幾つかの通貨が混じってそれが元に経済混乱に近い物があったんよね
まぁ所謂、悪銭の流通で他の銭との差があり、当時の通貨単位でいい状態の貨幣の1貫と悪銭の1貫では価値が違ったんよね
まぁ簡単に言えば経済力自体が確定してなかったわけやね
ユーロで言えば、ギリシャの1ユーロとドイツの1ユーロの価値が異なるとか←これは今の所はないけど…
もっと言えば、債権でドイツやフランス国債の価値がPIIGSの国債の価値より高いとかね
BIS規制で国債もお金の一種と考えれば、国債は同じはずやのに
実態は価値が異なるとかあり得ないでしょ?
当時の日本の貨幣にもそういうのがあって経済発展の妨げになったりもしてたらしいんよね
それで信長が行ったのが撰銭令、つまり悪銭でも普通の金でも、1貫は1貫、1文は1文やって取り決めたんよ
やった当初は反発も色々あったりしたみたいやけど
後々はこれでどんな銭でもお金はお金って認識ができたんよね

EUも国債もバラバラ、政策もバラバラ、その他諸々がバラバラ
後は中核のドイツやフランス頼みであれば、
いずれ特にドイツの不満が炸裂した時にユーロ離脱も囁かれてるしな
まぁ実際そこまでするかどうかは疑問符は付くけどね…
だから、EUが立ち直るなら、まずECBを中心としてECBの名の元にEUの政治機能を統一して全てのEUの債務をECBの元に統一するしかないやろうね
そう、明治維新のころ、版籍奉還において藩の借金を明治政府が肩代わりした代わりに藩の財産を接収したように…
それで改めてEUの加盟国は都道府県のような形にするのが無難やろうね…
もしこれが確立して、イギリスのポンドもユーロ化できれば、ユーロの流通量もドルとの対抗力が高まると思うし…


ほなね

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